2020年1月5日、恒例の初法座をお勤めしました。
毎年1月5日に、お正月から平常の日々に戻っていくにあたって、初法座としてお勤めをさせていただいています。
今年は、勤行にあたって、表白(ひょうびゃく)を申し上げました。
(※この投稿の末尾に掲載しています。)
特に、善導大師『往生礼讃』のお言葉をあらためてかみしめました。
善導大師の往生礼讃に云く、
人間怱々として衆務を営み、年命の日夜に去ることを覚えず。
灯の風中にありて滅すること期しがたきがごとし。
(意訳)人間はあくせくとしてさまざまな営みを行っているが、
日々に限られた命が費やされていることを知らないでいる。
それはあたかも、風の中に置かれた灯がいつ消えるとも
わからないようなものである。
日々、眼の前にあることに追われ、大切なことをついつい忘れたり、自分が限りある命を生きているということさえも見落としている私たちのありかたを改めて知らされる言葉であるように思います。
法座の準備、そしてお勤めをしているなかに思い至ったこと。
それは、私が「法要をしている」とか「仏語を語っている」のではなく、法座があること、お参りに来てくださる人がいるからこそ、怠惰な私が動くことができている、身を正す機会をいただいているというような思いでした。
私が動いているのではなく、法座・行事、お参りのみなさんによって動かされている。
この一年、行事や場を丁寧にお勤めできるよう、また努めたいとおもいます。
表白
敬って、大慈大悲の阿弥陀如来の尊前に申して曰さく、
令和二年、二〇二〇年、新たな年が始まりました。
心機一転、あらたな試みをなすものあり、
生涯をかけた営みを続けるものあり、
懸命に日々に努めるものあり。
人それぞれ、さまざまな日常を積み重ねていくことでしょう。
しかしながら、
善導大師の往生礼讃に云く、
人間怱々として衆務を営み、年命の日夜に去ることを覚えず。
灯の風中にありて滅すること期しがたきがごとし。
と。
われら、日々の営みのなかに、命の限りあることを忘る。
上尽一形の念仏相続、法義聴聞すべきゆえんなり。
本日、ここに仏前を荘厳し、参詣の門信徒とともに、
令和二年・西正寺初法座を勤修したてまつる。
願わくは、有縁の人々、この法会を機縁として、
心を弘誓の仏地に樹て、
念(おもい)を難思の法海に流し、
念仏相続うるわしく、法悦の中に日々を送られんことを
西正寺住職 釈了悟
敬って白す